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日本の教育が生み出す「受け身人間」の危機 ~世界に負けない思考とは?~


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ユダヤ人から見た日本人の「意見を言わない姿勢」は、

 

非常に愚かだと指摘されています。

 

つまり、「受け身人間」だと思われているわけです。

 

ビジネスの世界で、ユダヤ人ほど上手く立ち回っている人はいません。

 

そんな状況下で、我々の課題を文書化してみました。

 

 

 

 

 

はじめに:「おまかせ」の姿勢が育む受け身人間

 

「おまかせ」という言葉は、一見、柔軟で気配りができる印象を与えます。

 

しかし、実際には「決断を他人に委ね、責任を回避する行為」でもあります。

 

私は広告営業時代に、この「おまかせ」の本質を体感しました。

 

顧客から「そこはおまかせしますよ」と言われるたびに、

私は心の中でガッツポーズをしたのです。

 

なぜなら、売れ残りそうな広告枠に予算を割り当てたり、

枠調整を進める余地が広がるからです。

 

さらに、効果が出なかった場合も責任を問われにくいため、

こちらとしては非常に都合が良い状況でした。

 

一方で、広告の戦略を自分で考える顧客は厄介な存在でした。

何度も効果検証を求め、調整に工数がかかります。

 

しかし、そうした顧客とは信頼関係を築き、

次の受注につなげやすくなるという側面もありました。

 

 

この経験から、「おまかせ」という姿勢が、

どれだけ人間の成長を妨げるかを痛感したのです。

 

 

 

 

「受け身人間」を生む日本の教育システムの問題

 

日本の教育システムは、学習指導要領に基づいた詰め込み型の教育が主流です。

 

生徒は答えを「待つ」ことに慣れ、

独自の発想を試みる機会を与えられません。

 

たとえ正解にたどり着いても、教えられたプロセスに沿っていなければ

不正解とされる場合すらあります。

 

この結果、生徒は社会に出ても自分で考えることが苦手になり、

上司や同僚の指示を待つ「受け身」の姿勢が染み付いてしまいます。

 

こうした傾向は、創造性や自発性が求められる社会で、大きな障壁となります。

 

 

 

 

インターで学んだ子どもたちの活躍と「ガラパゴス化」の懸念

 

インターナショナルスクールで学んだ子どもたちは、

バカロレア教育を例にとると、議論や交渉力を養います。

 

たとえば、宇多田ヒカルさんは、アメリカの現地校と

日本のインターナショナルスクールで学び、世界的な成功を収めています。

 

母親の藤圭子さんは、幼少期から彼女の才能を信じ、

日本の詰め込み教育ではなく、主体性を育む教育を選びました。

 

このように、多様な教育を受けた子どもたちが社会で活躍する一方、

日本の教育システムがこのまま変わらなければ、

社会全体が「ガラパゴス化」し、世界から取り残されるリスクが高まります。

 

 

自ら学ぶ力を育てた者が活躍する現実

 

不登校や中退を経験した若者が、起業家として成功したり、

海外で才能を開花させる例が増えています。

 

彼らは、既存の教育システムの枠から外れることで、自分のペースで学び、

自ら考え行動する力を身につけたのです。

 

もちろん、全ての人が成功するわけではありませんが、

こうした経験を通じて得た「自発的な学び」は、

社会での新しい可能性を切り拓く力となっています。

 

 

 

「受け身人間」の社会的リスク

 

「受け身」の姿勢は、社会での人間関係やキャリアに大きなリスクをもたらします。

 

特にディスカッションが求められる場では、意見を持たないことが不利に働きます。

 

また、非言語コミュニケーションも議論の重要な要素であり、

表情や身振りを使った表現が戦略となります。

 

議論を通じて鍛えられた人と、答えを待つだけの「受け身人間」では、

長期的に見ると社会的な生存力に大きな差が生まれるのです。

 

 

 

結論:未来に向けた教育改革の必要性

 

日本の教育システムは、「受け身人間」を量産している現実に直面しています。

 

教育委員会や教師が、世界の教育現場を学び、

自発的な学びを促進する改革を進めることが急務です。

 

フィンランドの教育システムのように、生徒の創造力を重視するカリキュラムを

導入することが求められます。

 

また、不登校や中退といった経験を一つの可能性として捉え、

教育システムの枠を超えた学びを尊重する柔軟な社会を目指しましょう。

 

今こそ、「受け身人間」の危機から脱却し、自ら考え、

行動する力を育む教育へとシフトする時だと考えます。